唯、美しく。
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どれだけ素晴らしい時間だったのか
述べ立てる言葉なんて
ぜんぶ、感動の渦の中、投げ入れて来てしまった




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東京、丸の内のど真ん中。
まるで年季の入った欧米のカレッジのような落ち着いた佇まいが好もしい、
三菱一号館美術館へ。

先月末、イギリスから来日していた英国サンダーソン社社長、マイケル・パリー氏と、
大阪大学大学院教授藤田治彦氏による、
「ウィリアムモリスと唯美主義」に関する講演を聴きに行ったのだけれど、
そもそも、その講演と言うのが、現在三菱一号館美術館で開催中の、
『ザ・ビューティフル』(英国の唯美主義)展の、記念講演だったのだ。
このままでは、木を見て、森を見ずの如し。
これは、是非とも美術展示も観ておかなくては。

藤田氏ご推薦の、19世紀、唯美主義を代表する小説家、
テオフィル・ゴーチエ作の『モーパン嬢』を読んでから臨んだ、今回の美術鑑賞。
小説の文中に登場した、私の空想のギャラリーの中で、
モノクロのままだった、女性の肖像画や風景画。
そこに、美術館に一歩足を踏み入れた瞬間、
ぱっと鮮やかな色が差したような気がした。

写真展にしろ、美術展にしろ、
毎回、こうした”本物”と対峙する度に、気持ち良いくらい気圧されて、言葉を失ってしまう。
「すごい」とか、「きれい」とか、「うわ~」とか、
喉元ギリギリのところまで、カタチにならない音だけは上って来るのだけれど、
それを吐露させてはくれない威厳と言うか、力が作品には漲っていて、
ただただ、高密度で高濃度な”静謐”の中にずしーんと鎮められてゆく、その心地良さ。
鎮められた感動が自分の内側で大きく大きくエコーして、
その音の無い音に浸り切って、クラクラする感じ。
なんて、贅沢な時間だろう、と思う。
コミュニケーションの時代に生きる私たちは、感じたことを「表現」する方法に、
事欠かなくなってはいるけれど、
何かに感じ入った時、それを容易に解放することなく、
自分の中に鎮めると言う贅沢を、これからも忘れたくないと、今日また改めて思った。

だから、今日、ここに記した言葉たちも、
あるいは、取るに足りないことなのだ。
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by hatsukoizitensha | 2014-04-17 20:16 | instax mini 90
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