年末だし、師走だし、忙しさに便乗して、たまには、ちょっぴり真面目に心の中、ちらり
今朝の『ごちそうさん』、今までずっと観てきた中で、一番、良かったなあ。
巷で何かと話題の、意地悪万歳!な”和枝姉さん”ですが、
ようやく、ようやく、
自分の本心と、本気で向き合う覚悟が出来たご様子。
その表れが、ヒロインめ以子に涙ながらにこぼした最後のセリフ、

「どうしても、わたしは、あんたのことを好きになれない・・・」

なのだと思う。

ああ、良かった。それ、言えて、良かったね、和枝さん!って思った。
(私的には)この人、これで、もう大丈夫だー!って。


*で、年末だし、師走だし、
今年の区切りとして、今日は少しだけ長話に・・・。
お時間ある方だけお付き合い下さいませ。^^;



「どうしても、あんたのことを好きになれない・・・」と言うセリフは、
一見すると、互いにとって絶望的な響きではあるけれど、
その裏には、ちゃあんと、
「本当は、あんたのこと、好きになりたいのに・・・」が隠れてるわけで。

誰に対しても、警戒心なく自分の弱さをさらけ出せるヒロインめ以子が、
周囲から好感をもたれるのは、どうしようもない真理・・
それに対して、和枝は、苦労性な上に、
”こんなにも私は自分を殺して他人に尽くしてきたのに、どうして私ばっかりがこんな目に!”と、
積年の恨み、つらみで、心が素直に物事を捉えられなくなってしまっている。
幸せになるために、(和枝にとっては)何も努力もしていないかのように映るめ以子のことを、
そう簡単には認められないのも、しごく分かる話。

しかも前日に、妹の希子(のぞみ)から、
「お姉ちゃんが幸せになれへんのは、誰かのせいじゃなく、
お姉ちゃんの心が歪(いびつ)やからや。そんなやから、人が離れてゆくんや」
なんて、ズバリ本当のことを言われてしまう。どこにも逃げ場がない。
でも、和枝はそのことを、自分でも嫌になるくらい、本当は分かっている・・のだと思う。
ただ、認めたくなかっただけ。だって、認めってしまったら、
これまでの自分自身を支えてきたものが崩れてしまいそうだから。
けれど、そんな心の傷を手放したいと思っていた絶妙なタイミングで放たれた矢が、
あの、希子のセリフだったのだと思う。荒療治だったけれど、
やっとありのままの自分を映し出す鏡の前に、立つことが出来たのではないかと。


小さな頃から真面目で良い子だった和枝は、
恐らく、「人を嫌うのは良くないこと」と言う価値観を持っているのだろう。
だから自分にとって、不愉快な人物やや出来事があったときでも、
「嫌だと思ってはいけない」と言い聞かせて我慢してきたのでは・・・。
その結果どうなってしまったかと言うと、行き着いた先は、
「どうして私ばっかり!(ほんとうは、私だって、嫌だって言いたいのに!)」の境地だったわけで。

め以子に辛く当たってしまったのも、
好きに”ならなければいけない”(と、思い込んでいる)人物の彼女を、
どうしても好きになれない・・と言う、葛藤、苛立ちから来ていたんじゃないのかなあ。
「人を嫌ってもいい」と言う価値観を、和枝が少しでも許し、受け入れていたら、
こんなにもめ以子を前にして、苦しくはなかったように思う。

確かに、人を嫌うより好きになれた方が、人生は楽しい。それは、絶対に、そう。
99%、そう。
でも、「嫌い」って気持ちだって、自分から生まれた気持ちの1つなのだから、
大切にしても、いいんじゃないかな?って、思うのだ。

・・・な~んて、私も、この歳になって、ようやくですよ?
ようやく、そう、心の底から思えるようになりました。


以前、お友達と一緒に写真を撮ったと言う記事を書いたのだけど、
その時、自分が大切にしているカメラを”見せて”と言われて彼女に渡した時、
とても丁寧に扱ってくれたことが嬉しく、ふと、
「自分が心から大切にしているモノって、他人もちゃんと大切にしてくれるんだなあ」
と思ったわけですが、この”大切にしているモノ”って、
何も、高価な宝物だとかキレイなものだとか、見目麗しいものだけじゃなくても
いいんじゃないのかなあって。
たとえば、自分の嫌な部分、醜い部分、他人にはちょっと伏せておきたい部分・・
そんなものも、含まれていいんじゃない?って。
本人が大切に出来ている(ちゃんと本人が受け入れている)欠点や醜い部分は、
良い部分や、素敵な部分と同じように、他人からも大事にされるんじゃないのかな?

友達の中に、一人か二人、必ず居ません?
口が悪くて、約束とか結構ルーズで、出したメールの返事とか全然戻ってこなくて、
貸したお金のこととか、うっかり忘れちゃったりする割に、
そのことを言い訳するでもなく、
でも、何故か、みんなから好かれていて、人の輪の中にいつもちゃんと居る人。

反対に、人の悪口も言わず、約束時間もきっちり守って、
頂いた親切には、御礼を欠かさず、
届いたメールの返信も、必ずその日の内にして、
もちろんお金なんて借りないし、むしろ、多く支払ってたりするのに、
でも、何故か、みんなから、「ちょっと声かけずらいよね・・」なんて、
距離を取られたりしてしまう・・・。
どうして、私ばっかり・・?損してない?って。

実は私、ずーっと長いこと、後者の人をやってきたんです。
そう、まんま”和枝さん”、だったんですね。
さすがに、他人をあからさまに苛めたりはしませんでしたが・・・あ・・でも、
心の中では、同じことをしていたのかも知れません。
”好き避け”って言うんですかね?
本当は仲良くしたい、自分が憧れるタイプの人たちを、心の底ではすごく認めながらも、
近づくと自分が惨めになる気がして、逆に遠ざけてみたり・・・。
馬鹿・・ですね。ほんっと、お馬鹿。
で、そのお馬鹿さんは、更に考えます。
人に認められないのは、自分の努力や気遣いが、まだまだ足りないからだ、と。
そして、自分を責めて、益々拍車をかけて、”いいひと”を演じて行く・・みたいなね。
地道にそうしていれば、いつか周りは認めてくれるはず・・な~んて。

今は分かりますよ?そのままでは、そんな日は一生来ないってこと。
仮に、その努力が実ったとして、人から何らかの賞賛を浴びたとしても、
多分、心はまるで、満足しないってことも。

私の長年の間違いは、”大切なもの”の中に、
自分の嫌な部分、醜い部分を入れられなかったことだったなあ、と思います。
誰だって本当は、自分の嫌な部分、醜い部分も含めて、
大切にされたいって思ってるはずだし、そうされてこそ、そうしてこそ、
満足し、安心し、人と人との関係は熟してゆくことが出来るのだと思う。

必要以上に人から嫌われたくなくて、好かれないと安心できなくて、
誘われるままに行きたくない場所に出かけてみたり、
お付き合いもさほど深くないのに、やたらとモノを贈ってみたり、
頼まれてもいないのに、休日返上で引越しの手伝いをしたり、
その癖、相手からの感謝が返ってこないと、
相手が非常識だからと言って恨み、
そんな人とは所詮、長く続く人間関係を築くのは無理だったんだ・・とかなんとか
偉そうに自分を正当化して、挙句、ご縁を切ってみたり・・・
いつだって、可哀想なのは私で、そうさせているのは、周り!って思っていたんですね~。
まったく、逆なのに。
(さらっと思い出せる限り書いてみたけど、改めて私って、サイテーですね!笑)

そんな風にして、見事に空回りして、自分を大嫌いになって、あっぷあっぷしていた私に、
ある日、希子ちゃんさながら、私のエゴ、ごまかし、欺瞞、
全てを見抜いていた友人の一人が、こう、はっきり指摘してくれたのでした。
それも、今にも死んでしまうんじゃ?ってくらい、必死に泣きながら・・。
「ぜんぶ嘘じゃん!本当のみゆきさんは、どこに居るの?自分はどうしたいの?」って。
もう、この時のことを今思い出しても、人前で裸になるよりずっと恥ずかしい。
喩えるならば、流さずに出て来たトイレの中を、大好きな人に
見られてしまったかのような、居た堪れなさ。
でも・・・その一言で、
今までせき止めて居た何かが一気に決壊して、わんわん泣きました。
「やっとこれで、みゆきさんと本当の友達になれる気がするよ~。」
「もっと、甘えてくれていいんだよ~」
そう言いながら、その場に居合わせた友達も、みな、泣いていました。
自分の惨めさに、生まれて初めて素で向き合えた、
受け入れることが出来た、瞬間でした。
もっと早く、こんな風にして、素直に人前で泣いてしまえばよかった・・と思いました。
そして、この友人がしてくれたことを、
「ああ、これが、本当の意味での”人助け”なんだ」と確信したのでした。

以来、私は、むやみやたらに、人を「助けたい」と思わなくなりました。
もっと言えば、「かわいそう」な人なんて、いない。
それこそ、目の前の現実と必死に取り組んでいる、その人への侮辱だと思う。
やっぱり、自分を救えるのは、最後の最後は、自分だけ。
耳障りの良い言葉は、どれだけでも言える。
(また、それを言う必要な時には、それを言う自由はもちろん、ある。)
でも、それが本当にその人の為になっているとは限らない。
”いいひと”になりたい自分が、単に満足する為に、言っている場合も、ある。
実際に、私には、あった、と思う。
エゴで「助けたい」と思う気持ちは、
同様に、エゴで「助けて欲しい」と言う依存を強化してしまうだけだから・・。
実際に、私は、その「依存」の魔境にハマって、何度も失敗しているので。

でも、これは、あくまでも、私自身の経験を通して感じたこと。
人それぞれだと思います。

そんなことが・・・お恥ずかしい話、
まだ、たった3,4年前の話なんですよね~。いい大人がね~。情けないですね~。

やっと他人目線から、自分目線に切り替えて生きられるようになって、
少しずつ、一歩、一歩、
自分が本当に生きてみたかった人生を取り戻しながら歩んだ、この数年。

いま、今まで生きてきた時間の中で、
一番、一番、楽しいです。
足りないものは、数年前と全く同じだったりもするけれど、
それでも、
「嫌ってもいい」、「嫌われてもいい」、と、
自分にも、他人にも反応の自由を委ねながら、
ふわりふ~わり、生きている今が、とっても幸せです。



いつか、このテーマで、文章を書こうと思ってました。
言葉に出来たときは、
あの頃の自分を乗り越えられた時なのだろうなあと信じて。
4年と言う時間がかかったけれど、書けたってことは、
もう大丈夫。越えられたのだと思います。そう、思いたいなあ・・。
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by hatsukoizitensha | 2013-12-13 14:49 | 今だから分かること
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